6月15日放送「世界まる見え!テレビ特捜部」2時間スペシャルで紹介されたルー・パールマンさん。
バックストリートボーイズを育てたプロデューサーです。
ルーパールマンさんは過去に保険金詐欺をしていた人物ながらバックストリートボーイズのプロデューサーとなった方です。
一体どんな方だったのでしょうか?プロデューサーになった経緯や、詐欺についての真実など書いていきたいと思います。
元詐欺師のルー・パールマンさんは捕まった名プロデューサー
ルー・パールマンさんはアメリカの有名アーティストグループ「バックストリート・ボーイズ」や「インシンク」など数々の人気ボーイバンドの生みの親として名の知れたプロデューサーで、すでに62歳で死去しています。
それは詐欺師として受刑中だった刑務所から病院へ移された時のことでした。
ルー・パールマンさんとはどんな人物だったのか、プロフィールから詳しくご紹介していきます。
ルー・パールマンさんのプロフィール
- 名前:ルー・パールマン(るー・ぱーるまん)
- 生年月日:1954年前後
ルー・パールマンさんは1980年代からレコード・プロデューサーとして活躍する男性です。
過去には保険金の詐欺をしたという経歴を持つ人物でしたが、プロデューサーとしてマネジメントの腕は敏腕だったようで、史上最高と言われるボ-イズバンドの成功を成し遂げたのです。
1900年代半ば、まだティーン向けのアイドルグループがいなかった時代にルー・パールマンさんはニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックというビジネスモデルに影響され、フロリダ州の地方紙であるオーランド・センチネルに“ポップグループのボーカル募集”という広告を打ち出します。
それを見て集まった中、出来たのが「バックストリート・ボーイズ」です。
バックストリート・ボーイズを結成
様々な出身地のメンバーから出来たグループは本拠地をフロリダに置き、活動していきます。
1993年、ルー・パールマンさんが40歳前後のことでした。
翌年にまずヨーロッパでデビューした彼らは、アメリカでは大きなファンの獲得とは簡単にはいきませんでしたが、ヨーロッパでの人気から徐々に広がり日本でも発売されたデビューアルバムで勢いが出ます。
しかしメンバーの1人であるブライアンさんが心臓病の悪化で手術をおこなったり、デビュー当時から携わっていたプロデューサーの他界などグループとしては大変な時期が訪れます。
ライバルとなるイン・シンクがデビュー
バックストリート・ボーイズとしては更に追い打ちをかけられるような時代がやってきます。
1995年に同じような男性アイドルグループとして「イン・シンク」が結成。
そして彼らの結成を手掛けたのもまたルー・パールマンさんだったのです。
ルー・パールマンさんはバックストリート・ボーイズの時と同じように彼らをまずはヨーロッパで売り出し、そしてアメリカと世界で活躍を広げます。
バックストリート・ボーイズとは永遠のライバルとされるようになり、これらのグループの不仲説は今でも有名です。
そんな中、バックストリート・ボーイズは、1999年に発売したアルバム「ミレニアム」が初の全米アルバムチャート1位を獲得、日本など世界でも名の知れた人気アーティストグループとなります。
日本では彼らグループをBSB(ビーエスビー)やバックスとも呼んでいます。
この頃、ルー・パールマンさんは40代後半となります。
ルー・パールマンさんの詐欺とは?
それから間もなくしてルー・パールマンさんは虚偽の陳述とメンバーの収入を不当に搾取した詐欺容疑でバックストリート・ボーイズとイン・シンク両グループから訴えられます。
信じて、そして父親のように慕っていたルー・パールマンさんから騙された両グループは、ライバル同士でありながらも協力して不公平な契約に対する告訴を起こし、盗まれた金銭を取り戻すべく戦い始めたのです。
その一方で彼らの人気はどんどん高まり世界的スーパーグループとなっていきました。
その後ルー・パールマンさんは他にもマネジメントを手掛けていた彼らの後続のグループからも訴えられるなど、プロデューサーとしての信頼はなくなります。
また更に大きな事件として2006年、投資家など最大1700人にも及ぶ人から3億ドル(約300億円)以上を騙し取った罪で告発されました。
アメリカ史上最大級とも言われるこの詐欺・出資詐欺の容疑を掛けられたルー・パールマンさんはインドネシアへの逃亡を図りますが2007年に逮捕、罪を認め有罪判決を受けます。
2008年、ルー・パールマンさんが50代半ばの頃、25年の禁固刑が判決されました。
この刑期は負債1億円ごとに1ヵ月とされたもので、1億円返済するにあたり刑期が1ヵ月短縮されるというものでしたが、ルー・パールマンさんが返却することはなく刑期の短縮はありませんでした。
刑務所から死去まで
あら、ルー・パールマン死んだか。 https://t.co/7N4Odc97Tc
— アリアンデルの猫 (@laparkadejapon) August 21, 2016
1995年とかそのへんで、ボーイバンドで儲けよう、スウェーデンに曲発注しよう!も思いついたルー・パールマンは偉大だ(キモいし詐欺師だったけど)
— きんぴら (@kinpira) January 17, 2020
数々の人気ボーイバンドを生み出したプロデューサー兼マネージャーのルー・パールマンさんは以前から心臓病を患っており、心臓の手術を数日後に控えた62歳で他界します。
服役していた刑務所から手術を行うために病院へ移された時のことで、死因は自然死とされています。
ルー・パールマンさんは多くのアーティストから訴えられていましたが、彼の死を受けて追悼のメッセージが寄せられました。
イン・シンクのメンバーであるジャスティン・ティンバーレイクさんは「彼が安らぎを見つけたことを願う。安らかにお眠りください。」。
またランス・バスさんは「彼は素晴らしいビジネスマンではなかったかもしれないけど、彼の影響なしで今の僕はなかった。安らかにお眠りください。」と綴っています。
最後に
今回は名プロデューサーとして人気のアイドルグループを生み出したのち、服役となったルー・パールマンさんについて書かせて頂きました。
最後までお読みいただきましてありがとうございました。